こころの奥に、そっと手をあてる。

そんな時間を、毎日の習慣にできたら。

「日刊SENSES」は、
頑張りすぎてしまうあなたに向けた、
こころの深呼吸のような言葉を届ける
エッセイのようなものです。

生きるのがちょっと面倒な日も、
誰かの正解に迷ってしまう日も、

読むとちょっと呼吸が深くなる。
そんな連載にできたら嬉しいです。


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自分というものを持たないように生かされてきたと思います。

「普通」

「世間一般的」

「常識がある」

社会に出て恥をかいたり、困ることがないようにする為の教えだったのかもしれません。

ですが、その教えが自分に合っていないとどうしてもどこかで限界を感じる場面に何度も何度も遭遇するのです。

すこし学んで、やっと自分に正直に生きてみようと思えば、どうしても周囲と自分との関係性の問題が出てきて、他人からどう思われるのかが気になって思うようにいかない場面に多々遭遇します。

人は社会的な生き物だから、本能としてどうしても社会から拒絶されることを恐れてしまうのです。

でも1度きりの人生、自分自身が1番の味方である生き方をしたいなあと思います。

味方であるというのは、やりたいようにやらせて、無駄に自分を責めることなく、喜びも苦しみも選んで生きるということです。

正直に生きようと思った理由のひとつは、「苦しみすら自分で選びたい」と願ったのもあります。

選べない苦しみももちろんあると思うのですが、意外と選べるものだと思うのです。

特に、他人から押し付けられる苦しみはもう嫌ですね。それに耐えるくらいなら、ちょっと枠からはみ出て自分で選んだ苦しみを生きたい。

わたしは決してドMじゃないけど、苦しみのない人生には喜びもないから、多少の苦しみもウェルカムです。

こんなことを言っていますが、メンタルは強くはないですよ。

自分が扱える範囲の苦しみと共に生きて、自分でいられることの喜びを噛みしめて生きていけたらいい人生だったと思えるような気がしています。

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