怖くない人生など、その本質を欠く

またまた「チ。」の話なのですが、

この言葉、

グッときませんか。

グサッときませんか。

一昔前のわたしは、収入が一定で、将来が読める暮らしを手に入れることが幸せだと思って生きていたので、年齢を重ねる度に人生の不足感みたいなものを感じていました。

要は安定が正義だと思っていたのです。

「幸せだから、これでいい。」って当時はそれ以上考えることはなかったのですが、気づけば心が動かなくなっていました。

未体験の自分に出会うためにいくつもルートを変えながら、生き直すことにしたのです。

不安をゼロにすることをゴールに生きると、やりたくないことが発生しがちです。

心からやりたいわけではない労働、心が喜んでいないのに選ぶ食事、心を消耗するような人間関係とか。

それって楽しいのでしょうか。

それって幸せなんでしょうか。

要は、安心感を得ることは意外と人生の目的ではないんですよね。

多くの人が「怖くない人生」を望むのも、すごくわかります。わたしもそうです。

ですが、恐れを感じないための選択が、自分の心からの願望なのかは少し立ち止まって考える価値はあるんじゃないかなって思います。

だって本当に望んでいる方向へ進もうとすると大抵怖いですから。

会社員を辞める時も、フリーターになるのも、自分のやりたいことだけをやろうとするのも怖かったです。

その怖さは止まれの合図ではなく、それこそが向かいたい方向を教えてくれているのだと思います。

怖さを感じたそのときこそ、自分に正直に生きようとしているのかもしれません。

何も怖くない人生は、一見幸せに見えてはいても、魂の冒険をどこかで止めてしまっているかもしれませんね。

とはいえ怖い選択肢を選ぶのもだいぶ難しいですけどね。その先にこそ、本来の”わたし”が待っているのかもしれません。

未知への恐れは、あなたが本当の自分と一致することを妨げるフィルターです。 by Bashar

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