
こころの奥に、そっと手をあてる。
そんな時間を、毎日の習慣にできたら。
「日刊SENSES」は、
頑張りすぎてしまうあなたに向けた、
こころの深呼吸のような言葉を届ける
エッセイのようなものです。
生きるのがちょっと面倒な日も、
誰かの正解に迷ってしまう日も、
読むとちょっと呼吸が深くなる。
そんな連載にできたら嬉しいです。
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わたしの中に入り込んでくる
「親切な人」の圧
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わたしを変えようとあれこれ言葉をかけてくる人が苦手です。
他人が自分に圧をかけてくる感じ。
これがたまらなく嫌なんです。
相手は良かれと思って、わたしの為を想って言う。
だけど、わたしの心に響くことはなく、目は下を向き、胸から喉にかけて気道が少し狭くなったような感覚に陥る。
鬱陶しいな、とモヤモヤしてしまう。
要は不快なんですよね。
頼んでもいないのに、わたしの人生の設計図を勝手に描かれてしまうのは、わたしの人格や選択を否定されているかのように感じます。
もちろん、わたしに苦手で不得意なことがあることも自覚しています。
でも、それを克服することを正義とするのは、わたしにとっては健全ではないのです。
ひたすらに窮屈なだけなんです。
自分の人生の可能性を妨げる何かを克服することを否定しているのではなくて、限られた人生という時間とエネルギーの使い道くらい自分で選ばせてほしいし、そこは見守ってほしいと思うのです。
そもそも本当に自立している人は他人の事に必要以上に口を出しません。
そういう人は自分に自信がないと思います。
だからその不安を解消するかの如く、発した言葉がブーメランとなって自分に帰ってくるようになっているのです。
わたしは、きっと「こうであってほしい」と願う気持ちにまだ振り回されているのでしょう。
自分の心に違和感を感じたとき、自分を説得させようとしている時、わたしは誰の期待を生きているのかを自分に問いかける必要があると思う今日この頃です。